こんにちは。Yosuke です。
この記事の内容は、「69日間、12ヶ国、21都市の旅」の記録です。
旅の記録を付けようと思った経由については、こちら
今回は、旅についてのブログ第1弾!
ということで、
「0章 オーストラリア編」
です!
1弾だけど0章なんです!
僕は、69日間、12ヶ国、21都市の旅に出る前に、ワーキングホリデービザを使用してオーストラリアに住んでいました。
そのオーストラリア時代についてざっと振り帰ってみたいと思います。
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初の海外生活!シドニーのクージー!
↑始めて住んだシェアハウスから10分歩けば、こんなに綺麗で素晴らしいビーチがありました。シェアメイトや友達と気兼ねなく遊びに行っては、BBQを楽しんだりと、オーストラリアならではの生活を楽しみました。
さて、まずワーキングホリデー生活で最初に降り立ったのは、シドニーのクージーという小さな街でした。
この街に降り立った経由を簡潔に述べると…
…
はい。正直に申し上げます。
なんか、よくわかんないけど、気がついたらそこにいた状態。
どういうことか詳しく説明しますと、オーストラリアに留学をするとなった時に、東京のあるエージェントを使いました。
そのエージェントは、日本出発までの準備を手伝ってくれます。
ビザの申請、語学学校の入学手続き、最初に住む家の契約などですね。
しかし、
現地に行ったら全部自力で乗り越えてくださいね。
というスタンスです。
留学先でなんでもかんでも、エージェントがやってしまったらそこに成長はないからです。
かわいい子には旅をさせよスタイル。厳しさは、優しさってやつですね。
そんなわけで、ビザ、語学学校、最初に住む家の手続きは完了していたものの、正直オーストラリアのシドニーがどのようなところかも、いまいち理解せずに現地に降り立ってしまったわけです。
シドニーの空港につくなり、エージェントが手配してくれた送迎の方(日本人)が迎えに来てくれて、一人ハイエースに乗せられて気がつけばシェアハウスの前。
送迎の人:「シェアハウスいいとこにあるね〜 オーストラリア生活頑張ってね〜 じゃあね〜」
みたいな感じで降ろされて、現地生活がスタートしました。
↓実際に降ろされた場所
いや〜、もうね、本当に来てしまったという感じでした当時は。
旅行と違って、生活をしていかなければならないのです。
英語は全くわからないし、家族もいないし、友達もいないし、というか知り合い誰もいないし、心配だし、不安だし、寂しいし、
今思えば、完全に
ホームシック状態。
いざ、意を決してシェアハウスに入ると、
外国人が共同生活しているという、これまでに経験をしたことのない環境。
蒸し暑いのにエアコンの無い家(暑い時は、冗談ではなく40℃は超えたことも)。
汚いキッチン。まな板には、アリの大群。水を貼りっぱなしで数日間放置されているフライパンにウジムシが沸いてたことも。
部屋にもゴキブリでるわ。
いや〜、もうね、
と、叫びたい気持ちを堪えて生活しておりました。
加えて、
英語で自分の言いたいことが表現できないもどかしさ。
勉強しても、なかなか話せるようになれない悔しさ。
英語が堪能なシェアメイトに囲まれて、英語わかったふりして過ごしてる毎日。
あれ?声が、遅れて、聞こえて、くるよ、状態。
てか、全然聞こえないw
聞こえてるけど、何いってるかわかんね〜w
みたいな感じです。
そんな日々の中、唯一の救いは、家から10分程歩いた場所に、綺麗でローカルなビーチがあったことです。
そうです。上の写真のビーチです。
辛いことや嫌なことがあれば、そこに散歩に行って現実逃避を繰り返す毎日。
※あくまで、イメージ画像であり、本人とは関係ございません。
と、まあ最初はこんな感じでしたが、時間が経てば人間どうにかなるもので慣れるんですね。
優しいシェアメイトにも助けられて、徐々に馴染むことができました。
3ヶ月間、語学学校に通って、友達もできました。
それなりにその土地のことに詳しくなれば徐々に楽しくなって、
気がつけば、パリピーになってる始末。
かなりの頻度で、同じクラスのフランス人たちと飲み歩いてました。
調子に乗りすぎて、同年の12月24日に行ったクラブで、日本のキャッシュカード、クレジットカード、免許証などが入った財布を無くしてしまったことも。笑
↑↓通っていた語学学校があるシドニーの中心街。
すっかり慣れて4ヶ月経った頃には、2年目のビザを延長するためのミッションである、指定された農場での3ヶ月間の就労を全うすべくシドニーを離れることに。
カブルチャーでのファーマー生活
↑実際に僕が働いていた農場です。イチゴとラズベリーの農場でした。
やっと、慣れはじめたシドニーを離れてやってきたのは、ブリスベンから電車で2時間弱の小さな小さな田舎街のカブルチャー。
そこでの楽園のような生活を期待していたのですが、待っていたのは、働いても働いてもお金にならないイチゴ狩り生活。
しかし、そんな生活もあっという間に過ぎ去り無事に、3ヶ月間のファーマー生活を終えることができました。
よって、
2年目のビザ延長資格も得ることに成功!!!
さて、どこへ行こうかと向かった先は、常夏の楽園ケアンズ!
常夏の楽園ケアンズ
↑常夏の楽園ケアンズ。気がつけば1年以上もこの街で暮らしてました。
ケアンズに向かった理由はただ一つ。
寒いのが苦手なんです僕。
ブリスベンでファーム生活を終えたのは、6月末でした。
6月末といえば、日本は梅雨明けが迫っており、夏も直近!と浮かれ気分になるところですが、
南半球のオーストラリアは、季節が真逆。
7月は冬の始まりなのです。
そんなこともあり、シドニーに戻りたい気持ちや、都会のメルボルンに行きたいという気持ちもありましたが、暖かいところに行きたい気持ちが強かったため、一年中暖かいケアンズに移動しました。
ケアンズは、オーストラリアでも上の方に位置しているため赤道に近いことで一年中暖かいです。日本で言う沖縄みたいな感じですね。
街の雰囲気を一言で表すと、自然が豊か。
海に囲まれて、山に囲まれて、物凄くのんびりしています。
観光地としては有名なものの、実際に住んでいる人は少なく、買い物をする場所も限られており、ショッピング大好きの都会好きが行こうものなら退屈で仕方のないような街です。
でも、日本ではまず味合うことのできないような、言葉では表すことができない退屈さがそこにはあります。
↑よく行っていた地元のパブ。
↑年に一度のケアンズフェスティバルで、パフォーマンスを披露するアボリジナルの少年たち。
↑同じくケアンズフェスティバルでのパレードを眺める地元の人々達。
どこに行っても、お金を使って楽しむことはできるかもしれないけれど、お金を使わなくても楽しめる豊かさがケアンズにはありました。
それは、ケアンズだけではなくオーストラリア全土共通です。
僕が実際に行ったところだけでも、
ブルー・マウンテン
↑シドニーの中心地から、2時間半程で行ける絶景の世界遺産。圧巻です。
ポート・スティーブンス
↑ニューサウスウェールズ州に位置する、ポート・スティーブンス。砂漠と海の両方が楽しめる最高のスポット。
グレート・オーシャン・ロード
↑メルボルンの中心から3時間程で行ける絶景スポット。世界で最も美しい海沿いドライブルートと言われるグレート・オーシャン・ロードを通り行き着いたポートキャンベル国立公園からの景色。
こんな大自然がてんこ盛りです。
シドニーやメルボルンなどの都会ですら、2時間も移動すれば大自然に触れることができます。
何よりも、オーストラリアのビーチや公園にはかなりの確率で、無料で使える BBQ コンロが設置されており、スーパーで買った食材を自分達で調理して、友達や家族と楽しむことができるんです。
↑実際に、BBQ をした時の写真です。友達が一生懸命に調理してくれてます。
こんな感じで、どこに行っても自然が豊かで、お金を使わなくても日常を楽しめるオーストラリア、
最高でした。
そして、旅はフィリピンへと続く
ざっと、オーストラリアでの生活を振り返ってみました。
実際には、ここに書ききれないくらい沢山の出来事、思い出がありますが、オーストラリア生活の中で感じたのは、
物質的な豊かさがなくても、精神的な豊かさがあれば人生は楽しめる
ということ。
僕自身日本にいると物欲の塊で、高級品、ブランド品を追い求め、何かをコレクションしたり、買い物最高!みたいな感じですが、オーストラリアでは、自然や人との繋がりを楽しむことで精神的にとても充実した日々を過ごすことができました。
2015年11月11日に日本を旅立ち、
2017年9月27日に帰省するまでの、
687日間
1年10ヶ月と17日間
のオーストラリア生活での経験を一生忘れることはありません。
そして、旅は69日間、12ヶ国、21都市の旅へと続きます。
次回は、オーストラリアの次に向かった国、フィリピン編です。
〜旅は、つづく〜
Yosuke より
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